VRC NZM

VRChatの日記やあれこれ。

VRChatを心のモルヒネにしてはならない

 VRChatを初めて1年とちょっとが経ち、総プレイ時間は4,000時間を超えました。

 これだけ長い時間VRChatに居ると、見たいものは見えなくなり、見たくないものが見えてきます。この世界を、どう題すべきかと熟思していたところ「心のモルヒネ」という単語が浮かびました。

 多くのプレイヤーにとって、VRChatはただのゲームと言えるでしょう。一方で、毎日のようにHMDを被って長時間VRの世界に居る人はどうなのでしょうか。

 初めてHMDを買ったとき、きっと己の手を眺めたことでしょう。

 最初は現実の手との差異に違和感を感じるも、次第にこれがVRの中での己の手であると認識を始めます。次第に仮想と現実が融合を始め、それが現実になります。*1

 例えどれだけ自分の容姿にコンプレックスを抱いて居ても、BoothとBlenderとUnityが美麗な容姿を作り上げてくれます。

 例えどれだけ遠方に住んでいても、ネットワークを通じてどこに居る人とも、一瞬でコミュニケーションができます。

 例えどれだけ自分の声、コミュニケーション能力にコンプレックスを抱いていても、身振り手振りとQVPenがそれを解決してくれます。

 例えどれだけ自分の部屋が汚かろうと、HMDを被ってVRChatを起動し、MEROOM336号室にJoinすれば、綺麗な部屋がそこにあります。

 例えどれだけ眠る時に孤独を感じていても、一緒に眠ってくれる人を探すことは容易です。

 時折勘違いしそうになるのですが、VRChatのプレイヤーは全員意思をもった人間です。NPCではありません。そしてVR(Virtual Reality)という言葉が、心理的な逃げ道になっているかもしれませんが、そこにあるのは虚(仮想)ではありません。現実です。ネットワークと3DCGの技術で上手にラッピングされた現実です。

 VRChatは容易に自己実現が可能です。承認欲求を満たすこともできます。なんなら性欲を満たすこともできます。それはすべからく現実です。しかし、多くの人は自分にとって都合の良い要素だけ「仮想空間での出来事」と解釈し、同時に都合の良い部分だけを「現実空間での出来事」と解釈しているように見えます。

 これは、ゲーム内での心ない行為や攻撃的な行為からも容易に見て取れます。どうせゲームだから、どうせ仮想だから、どうせ顔を合わせた人間ではないから、そう逃げ道を作って自分の行為を正当化する人が居ますが、残念ながら貴方の行ったことは、全て現実の事象として他人にもたらされます。
(匿名状態での人間の攻撃性について語り始めると枚挙に暇がないのですが)

 VRChatで起きた事象はすべからく現実です。おそらく多くのプレイヤーにとって非常に居心地の良い現実です。これは、HMDを外した現実に対する鎮痛剤、何よりも強力な鎮痛剤になっているのではないでしょうか。

 鎮痛剤には依存性があります。耐性がつき、次第に量を増やしていかないと効き目が弱くなります。果たして、鎮痛剤に浸かり続ける日々は本当に幸せなのでしょうか。私は疑問に思えてなりません。

 私はVRChatが大好きです。だから、少し道を踏み外しそうな人を見ると心が痛みます。ただし、この痛みにモルヒネを使いたいとは思いません。

*1:そもそも「バーチャルリアリティ」を「仮想現実」と翻訳するのは誤りなのですが、ここはわかりやすさのために敢えて誤訳を使います。